TV番組のいい加減はコメンテーター
バラエティ報道番組は毎日たくさんあるけど、スポーツのコメンテーターはかなりいい加減だ。いい加減を通り越して無責任さを感じる。
例えば土曜朝の某番組。野球の大御所が何でもそれらしい解説をして、喝とかあっぱれとか言ってる。しかし、野球のバッティングの専門家がサッカーとかラクビーとかバレーのことを言う意見は、我々とあまり変わらない。多少はスポーツ界の裏情報が入ってくるのかもしれないけれど、困った発言も多い。全体に番組の制作姿勢がいい加減なんだろうな。日曜の朝は引退した野球選手とサッカー選手が交互に出て解説してるけど、見ていて可哀想な気がする。俺たち物心ついたときからサッカー(野球)しかやって無いからなぁ、みたいな表情している。
これは、日本料理の職人にフランス料理やイタリア料理の個々の料理を解説させるくらい無意味なんだろう。専門以外はコメントさせない方が良いなぁと毎回思ってる。
笑い話:ゴルフ場での定番(下ネタ注意)
ゴルフ場でよくある定番のネタです。下ネタなので嫌いな方はパスして下さい。
続きを読む親しみある名字の呼び方
渡辺という名字の人は、一度は「なべさん」とか「なべちゃん」と呼ばれている。
同じように加藤は「かとちゃん」でなぜか「かとさん」は無い。佐藤も同じパタン。
鈴木は「すーさん」だし、山口は「ぐっさん」。
これは面白いので少し列挙してみる。
・金田:きんちゃん。なぜか「きんさん」はない。
・松田、松山:まっつぁん、まっさん。なぜか「つぁん」になる。
・浜田:はまちゃん
・菅野:かんちゃん。なぜか「かんさん」はない。
・片山、片桐:かたやん。なぜか「やん」となる。
・石川、石山:いしちゃん。「いしさん」はない。
・岩田、岩瀬:がんちゃん。「がんさん」はない。
・小林:こばちゃん。「こばーん」もありか?
・山本、山田、山川、山内:やまちゃん。「やまさん」もあり。
・木村:きむにぃ、きむねぇ、きむじぃ。
・平田、藤平:ぴらちゃん。へいちゃん。
このような親しみのある呼び方をされにくい名字もあり面白いのだ。
面白いのがあったらぜひ教えて下さい。
ミンティアはお菓子?
電車の中で私立中学の学生らしき数人が議論している。教師から、学校にお菓子を持ってきてはいけませんと言われたらしい。
少年A:食べると頭がスッキリするからミンティアはお菓子じゃないんだよ。
少年B:それじゃ、俺はポテチ食べてスッキリするからお菓子じゃないな。
少年A:常識ってものを考えてくれよ。
ミンティアはスッキリする目的で作られてるんだから。
少年B:スッキリするってみんなチゲーじゃんか。何食べてスッキリするか、
作った目的だってそこまでわからないだろう。
少年A:だから、ミンティアはスッキリすることだけを目的として作ってるんだよ。
と続くのでありますが、あなたが教師だったらどうしますか?
僕は少年Aをたまらなく応援したくなり、頑張れって心の声援を送りました。
でも、やっぱりミンティアはお菓子ですね。
なぜって、おかしのまちおかで大量に売っているからです(笑)
物忘れ
最近物忘れが激しい。人の名前や地名、お店や薬の名前など片っ端から忘れてしまう。さっき話していたことが思い出せなかったりするとヤバいなぁと思う。
先日出張のとき、ショックな忘れ物をした。出かける時から何か忘れているんじゃないかと言う予感が身を包む。当然思い出せない。今回は何か決定的なものかと焦ってチケットや持ち物をチェック。完璧だ。でも何か肝心な一本がない予感は消えなくてジリジリしながら考える。
やがて新幹線の心地よい揺れの中、忘れ物のことなどすっかり忘れて一眠り。
するとハッと思い出した。腰のところにそっと手をやる。
あぁそうだ!ベルトをするのを忘れていた。
どうりで何か肝心な一本がしまってない感じがしたわけだ。
駅に着いてあわてて紳士服店に飛び込んだのでした。
酒場評論:八日目の蝉
角田光代の2007年の小説。映画は2011年。出演は、井上真央、永作博美、小池栄子。2010年に、檀れい、北のきいでTVドラマ化されているようだが観ていない。
原作を読んでから映画を観たパターン。
小説を読み始めると喜びに打ち震えた。小説らしい小説なのだ。ホームランバッターが出てきてきちんとホームランを打つ喜び。その期待感、ワクワクの来るぞ、来るぞ感がある。途中ややあり得ない展開もあるが、素直に感動できる小説だ。
子どもに対しての惜しみない愛情とそれに応える子ども側からの愛情は一貫している。そこにこの小説のテーマがしっかり流れている。
読んでいる途中小豆島に行きたくて仕方なかった。そのあたたかく優しい日差しの中でただ、ただ佇んでいたくなる。
映画は、自分にとっては観ないほうが良かった。小説の中で作り上げたイメージが完全に崩れてしまった。あの想像していた小豆島のイメージを返して欲しいのだ。
小豆島を舞台にした2ラブレターと言う昼ドラマが素晴らしかった。勝手にそれを想像して期待があったのかもしれない。
酒場評論:イニシエーション・ラブ
乾くるみの2004年の小説。映画は2015公開、堤幸彦監督で主演は松田翔太、他に前田敦子、木村文乃。
実はまだ映画は観ていない。正確に言うと観るつもりは今のところ無い。原作は約30年前の恋物語がそのまましっかり詰まっている。あの頃の空気を知っている世代には胸が一杯になってしまうだろう。男女の出会いでの感じ方や仲良くなっている段階、そして仲良くなってからの展開。なかなか読み止めることができなくなって、一気に読み込んでしまう。そしてTV、音楽、流行りモノなど数々の懐かしい文化が背景に散りばめられ、いちいち懐かしさに胸がキュッとなる。みんな若くて今よりもやたら元気で、それでいて何か足りなくて、その何かを求めてあえぐように毎日を送っていた。一番大切な人に出会えた時の踊るような、それでいて静かに澄んだような気持ち。
もう少ししたらもう一度読み直したい。映画は自分のイメージを崩してしまいそうなのだ。もう一回読んだら観るかもしれない。
酒場評論:悪人
「悪人」は吉田修一の著作で2007年に出版、映画は2010年に公開。主演は妻夫木聡。他に深津絵里、満島ひかり、柄本明等。
映画を先に観た。さまざまなテーマが実に奥深く心に焼き付いた。祐一(妻夫木聡)は気弱で無口だけど、ひたむきに人を愛する優しさもある。感情表現が不器用な点が重要なキーでもあります。しかし、こういう人はどこにでもいるだろう。
私、この国道沿いの学校行って、国道沿いのお店で働いて、結局この国道沿いで人生が過ぎていくんだ、みたいなことを光代(深津絵里)が言う。
日本の地方都市の退屈さがそこにはあると思う。そこでどんな出会いがあるというのか?その退屈さのあまり、人と繋がりたくて携帯の出会い系サイトで祐一と知り合う。
祐一も同じなのだ。自分を見ていて欲しいし自分を認めて欲しい。自分を大切だと言って欲しいのだ。その渇望の心の叫びが聞こえる。
では、都会に住む人は人はそんなに簡単に、本当に大切な人と出会えるものだろうか。
その人が笑っていれば幸せ。その人のことを考えると心が暖かくなる。そんな人がいるのか?そんなセリフがあるが心に突き刺さる。
映画はほぼ原作に忠実に描かれておりイメージのズレもほぼ無いと思う。でもこれは先に映画を観たのでバイアスがかかっているのかもしれない。
映画を観て、無性に原作小説が読みたくなった。
映画にはないディティールがあり楽しめたし、その部分は映画のイメージで僕の頭のなかで自然に再現された。
これも映画が素晴らしかったからだと思う。
ちなみに小説を読んでいると、九州弁にハマります。