ベビーカーの若い夫婦
もう数年前のことだ。通勤で街路樹のある歩道を歩いていたら、向こうからベビーカーを押した夫婦がやってくる。
街路樹がある箇所は道幅が非常に狭くなっている。
だんだん接近してきたが若い夫婦に止まる様子が無いので、こちらが広くなっているところで立ち止まって、ベビーカーを押した若い夫婦を通した。
それでも彼らは、一言もなく会釈もせずにただ黙って通り過ぎる。
以前にも同じような経験がある。
幼子の手を引いた母親であった。
脇によけて通り過ぎるのを待っている僕に目を向けることもなく通り過ぎた。
どちらも、自分たちは子供を作って大変なんだから周りは協力して当然だ、というような雰囲気があった。
僕が子育てしていた時は、こちらが脇によけて、勤め人を先に通してた。
その方が、子供を安全なところに確保できたし、社会の役に立っている勤め人の邪魔をしないで済むと考えた。
多分、ベビーカーを押しているのが、お爺ちゃんやお祖母ちゃんで孫を乗せていたら、僕と同じように脇によけて先に勤め人を通すと思う。
そして「すみませんねぇ」「いえいえ、ありがとうございます」
くらいのやりとりをすると思う。
今の子育ては、僕たちのころやもっと昔に比べて、
リスクが高くて大変だという説が一般的だ。
でも、昔だって、子供を持つというのは、母体の安全から、病気や事故そして経済的な要因まで、大きなリスクだったのだ。
生物として次世代に遺伝子を引き継ぐという使命のなかで、喜びや悲しみを感じて生きて行くのが当たり前だった。
現代は、自分の人生はあくまで自分が主役だという感覚と意識が強く、その人生観の変化だと思う。