本が読めない
耳が余りにも寒いので、ヘッドホンを買ってしまった。
僕の耳は人より少し大きくて寒さに対して余りにも弱い。
寒さが続くと体力が弱ってきて、体調が悪くなるほどだ。
耳当てを付けていたのだが、その姿が家人に余りにも評判が悪かった。
そこで、これを買った。
ワイヤレスでノイズキャンセリングだ。
こいつが凄かった。スイッチオンした段階で周りの音が無くなる。
そして音楽を構成する音のひとつひとつが語りかけるように聴こえるのだ。
通勤時に至福の音楽空間を手に入れることができたのだ。
しかし、困ったことに音楽に集中するあまり本が読めない。
僕の読書時間はほぼ通勤時間だったのだ。
上巻まで読んだ、ナシーム・ニコラス・タレブの反虚弱性も完全にストップした。
これまで愛聴してきた音楽が別ものに聴こえるのだから、本が読めないくらいなんだって気になってる。
この流れにしばらく身を任せるしか無いなぁ。
ゴネ得ハラスメント
ゴネ得というのがある。
文句言ったり、クレームつけたり、極端に自虐的になって被害者としてアピールすることで、通常では無理なことを受け入れさせることだ。
実際に得をして一時的な実利を得てしまうのも特色だ。
多分、そういうことをする本人は自分の気持を正直に表現しているつもりなので、まったく罪の意識が無いのが特徴だ。
そういう人は、自分の不利益を主張するのは当たり前だ、みんなも気に入らなかったり、嫌だったりしたら堂々と主張したら良いのに、くらいに思っているのだろう。
普通ルール内で共同生活をしている基準で、特別なワガママを言うことはとても恥ずかしいことだと思っている。一昔前の親が良く口にした、「他人様に迷惑をかけるような人間になってはいけない」と言うことだ。
企業の中でもこういう人が必ず何人かいる。やれ、アレがない。マニュアルが無い。経験ないのに教えてくれない。人がいない。なんで私がやるの。など普通の人は心の中で思っても、まず自分で努力するか、最終目的に向けた相談として解決するようなことを、堂々公然としらっと発言して、なおかつそれが解決するまで繰り返す。
私見では、彼らはお互いが嫌いなせいか、散らばっていることが多い。
ヌーハラと言うのがあるのを聞いた時これを思った。ゴネ得だなと。
日本の生活現場に来た外国人が日本の習慣にいちゃもんをつける。
蕎麦をすするのは、日本では問題ない当たり前の食べ方だ。体調や気分によっては気になる人もいるかも知れないけど、文句を言う方がどうかしている。
それをヌードルハラスメントと言う、耳に新しいレッテルを貼って正当化したのは、多分日本が嫌いな文化人だと思う。
レッテルを貼られると独り歩きして、それがさも正しいことのような印象操作が始まる。
また、除夜の鐘を騒音だから規制しろとかゴネる人たちもいる。こういう行動も構造はまったく同じだ。多分、日本の文化が大嫌いな文化人が大騒ぎするのだろう。お寺も生臭い坊主が跋扈して、決して正義だけではないが、坊主が除夜の鐘を突くのは、受け入れられてる生活習慣だ。こういうことにゴネる人たちにはきっと天罰が下ってしまうに違いない。
恐ろしきゴネ得。そして何でも後ろにハラスメントを付けると、異常に警戒する傾向が出てきているように思う。得に最近、やれCSRだコンプライアンスだと過敏になっている。
ここまで来ると逆にゴネ得ハラスメント、クレームハラスメントと言う言葉が出来るかもしれない。
国家間でも一度締結して解決したものを、ゴールポストを動かしてゴネたりしている。
そいういうの子ども達が見ていて真似して平気で約束を破ったりしないか心配だ。
恐ろしきは、ゴネ得なのだ。
西洋の植民地時代:サピエンス全史から
サピエンス全史を読んでいる途中だが、第4部 科学革命 第15章 科学と帝国の融合 を読んでいて思ったことだ。
16世紀から第二次世界大戦が終わる19世紀半ばまで、西洋列強はアジア諸国及び南北アメリカ、オーストラリアまでをことごとく植民地化した。
それは殺戮、奴隷化、による完全搾取と言え民族自体を絶滅させるものだった。これが実に数百年も続き、それが合法とされていた事実には驚くばかりだ。
それは余りにも圧倒的で、価値観として現在も継続しているので、多くの人達は、植民地化の野蛮さや残虐さには目を向けないで、美化された現在を見て、忘れさられてしまっいるのだ。
つまりは原住民を未開と決めつけて、物質的な豊かさと宗教的な救済を押し付けたのだ。侵略され殺戮の果てに奴隷化された側からすれば、まさに宇宙人が突然襲ってきたような感覚だと思う。そもそも、太平洋の島々やアジア諸国、アメリカ大陸やオーストラリアに船でやってきて、そこに暮らす人達がいるのに、ここは自分たちのものだと思う精神構造がわからない。
土地を奪い、金銀を奪い、残虐を繰り返して奴隷化して売り飛ばす。
民族が全滅したらアフリカから奴隷を連れて来るような非道なことが、合法な商売として成立していたのだ。
今さら元にもどれないし、それが正しいとか悪だとか言っても仕方ないけど、歴史の事実として確実にあったことだ。
これから、世界の実態経済はアジアが中心になってくる。弱体化した西欧を文化含めて侵食していく時代なのかもしれない。
プロ野球の球団名考察
今プロ野球で許せないのが、横浜ベイスターズが得点をした際に、
「おーおおおお、横浜ベイスターズ、燃える星たちよ」全員で歌うのだが、
これがオーナー会社が変わってから
「おーおおおお、 DeNAベイスターズ、燃える星たちよ」
に変わっったことだ。
市民球団としては、是非「横浜ベイスターズ」に戻して欲しいものだ。
これをきっかけとして、球団名について考察してみた。
プロ野球にはセ・パ格6球団で12球団ある。
昨年の順位順に並べてみる。
パ・リーグ
北海道日本ハムファイターズ:札幌ドーム
福岡ソフトバンクホークス:福岡ヤフオクドーム
千葉ロッテマリーンズ:ZOZOマリーンスタジアム
埼玉西部ライオンズ:メットライフドーム(西武ドーム)
東北楽天ゴールデンイーグルス:Koboパーク宮城
オリックスバッファローズ:京セラドーム大阪
セリーグ
広島東洋カープ:MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島(マツダスタジアム)
読売ジャイアンツ:東京ドーム
横浜DeNAベイスターズ:横浜スタジアム
阪神タイガース:阪神甲子園球場
東京ヤクルトスワローズ:明治神宮球場
中日ドラゴンズ:ナゴヤドーム
多いのが、地名+オーナー会社名+チーム名で、
日ハム、ソフトバンク、ロッテ、西武、楽天、広島、横浜、ヤクルトと8チームある。
こうした略称でも特徴があって、パ・リーグはオーナー会社名、セリーグは地名で呼んでいるのが多い。
自分が呼ぶときだが、パ・リーグは、日ハム、ソフトバンク、ロッテ、西武、楽天、オリックス。
セリーグは、広島、読売、横浜、阪神、ヤクルト、中日だ。
ヤクルトは、東京に読売もあるので、「東京」とは呼ばれていない。
チーム系に地名がついてないのは、オリックス、読売、阪神、中日だ。
地元ファン、そして出身者をファンに呼び込むプロモーションの観点では、
地名が着いていた方が圧倒的に有利だ。
セリーグトップの広島はどの球場に行っても、
広島を応援する人で一杯で真っ赤に見える。
今の圧倒的な勝負強さとファンの多さでは大成功の球団だと思う。
我が横浜ベイスタースも地元横浜を愛する市民球団として成功している。
先日も、ナイターの引換券を持っていて、昼過ぎから並んで立見しか出来ない。
連日完売満席なのだ。
さて、チーム名だが、動物系が多い。
ホークス、ライオンズ、ゴールデンイーグルス、バッファローズ、
カープ、タイガース、スワローズ、ドラゴンズと8チーム。
我が横浜ベイスターズもかつては、横浜大洋ホエールズだった。
そうプロ野球チーム名の原則は、
地名、オーナー会社名、動物名が由緒正しいのだ。
この地名、動物名の原則キーワードをまったく無視しているのは、
読売ジャイアンツのみだ。
次にオーナー会社の分類だが、
食品関連:日ハム、ロッテ、ヤクルトの3社
IT系:ソフトバンク、楽天、横浜ベイスターズの3社
鉄道系:西武、阪神の2社
マスコミ系:読売、中日の2社
メーカー系:広島の1社
金融系:オリックスの1社
となる。
我がベイスタースももかつては、大洋漁業だったので、食品系は多い。
その後、TBS(マスコミ)を経てDeNAとなっている。
また、IT系もかつては、鉄道系から変遷しての場合が多く、
今後、IT系の流れは増えて来るように思う。
あと名称とは関係無いが、ドームを本拠地にしている球団が増えている。
日ハム、ソフトバンク、西武、オリックス、読売、中日と半数だ。
安定した試合スケジュールで応援が出来るので、ファンはありがたい。
夜風が気持ち良いハマスタも捨てがたいが、
横浜ベイスターズもドームに移って貰えると良いと思う。
※写真は2009年のハマスタ
人生で一番多く聴いているアルバム
人生で一番多く聴いているアルバムと言えば、間違いなく「クルセダース 1」だ。
大学1年の秋から何かにつけてずっと聴いている。
何かに集中して作業したいときなどは、必ずこのアルバムだ。通勤途中にイヤホンで聴いていて、今でも自然に身体が動いてしまう。
ジャズとフュージョンの境目あたりのフレーバーがたまらない。個々のミュージシャンの力量も安定しているが、ラリーカルトンのギターの伸びのある音色が素晴らしい。ギターアドリブが始まると、作業を止めて集中して聴いてしまう力がある。
入手した経緯はこうだ。
大学生になってジャズ研に入った。サックスをやりたかったけど、無茶苦茶高いサックスを買うお金も無かったので、ヤマハのフルートを買ってコンボに加わった。
そんな時、ギター担当の友人からレコードプレイヤーを買わないかと持ちかけられた。条件は車で取りに来ること。車の免許取り立てで未熟で不安な運転だったけど、父親から車を借りて、世田谷で道が狭くて入り組んでいる友だちの家まで取りに行った。
ゴムベルトが伸びて回転数も保てないプレイヤーだったけど、たしか針も一緒に買ってこのプレイヤーで毎日音楽を聴いていた。
このアルバムを聴くと当時の思いや悩みが昇華されて甘酸っぱい思い出となっていて、リラックスして人生が楽しく感じられる。
多分、一生聴き続けるだろう。
未来予想図
世界の人口はどんどん増加していき、
2050年で95億、2100年には108億人の予想だ。
一方、日本の人口はシュルシュルと減少していく。
2050年で1億、2100年で8500万人の予想。
日本社会は高齢化が加速して、やがて70歳までは当たり前に働き、90歳までは普通に生きる時代がそこまで来ている。120歳が平均寿命で100歳まで働くなどという予想もある。
コンピューティングとネットワークの進化、そしてAIによるオートメーション化は、倍々に加速しながら生活をどんどん変えていく。
つい最近まで、スマホは無かったのを思えばその速さが分かるだろう。
その変化は、ちょっと考えただけで以下の通り。
・車は自動運転で誰も所有しなくなる。スマホで呼んで行き先言うだけ。
・店舗は無人で、基本はネット販売。配達はドローン。
・通勤は無くなり皆自宅で仕事をする。
・学校もネット中心となる。
・病院もネットになる。家のトイレにセンサーが設置され、体調は自動計測。
・そして介護はロボットに。
・多分だけど、子どもは胎児育成マシーンで育ち生まれる。
・保育もロボット。
そう、日本社会は引きこもり社会になるのだ。
これでは、男女の出会いも無くなってますます少子高齢化になってしまう。
2050年。この未来予想図が当たるのか、是非生きて確認したいものだ。
密かに尊敬する人:大井町 丸八(支店)の大将と奥さん
35年前学校を出てこの街にある印刷会社関連の製版会社で営業となった。当時は当たり前に昭和な路地裏だった路地裏の飲み屋街は、今もなお昭和のまま残っている街だ。
品川方面に行く線路際の道沿いに、とんかつ丸八の支店がある。ここの大将はとんかつのために生まれてきたような風貌で、もし漫画家がとんかつ屋を描くとしたらこうなると思う。当時から、出前をする大将の顔を見ると、もうとんかつが食べたくて、食べたくて会社帰りに寄ってしまう魔力があった。それは今も健在だ。
ここのとんかつは絶品だ。一度食べたら病みつきで通ってしまうこと請け合い。ご飯の炊き方も申し分なく米が旨いと感じる。アツアツの豚汁はいつまでも舌の記憶に残る。
出して貰ってすぐ飲むと上顎をベロっと剥けるほどの火傷するのが分かっていても、毎度すぐに飲んでしまう。肉厚の食感の豚肉のほのかな甘みとサクサク衣が口の中で踊るように絡まって幸福感がジワジワ染み出してくる。
お店は一階は白木のカウンターのみで、大将と奥さんが並んで切り盛りしている。二人の会話や冗談も昔ながらの飾り気のない昭和のまま。この居心地の良さが、ガツガツとんかつを喰らうのにピッタリなのだ。
そう言えば、就職して正社員になったお祝いの会食も、会社の食堂に丸八のとんかつを出前で取ってくれて、みんなで食べた。
35年以上旨いとんかつを食べさせてくれる大将夫婦を尊敬し憧れる。
いつまでも有って欲しい名店なのだ。
密かに尊敬する人-中華三原の大将
かれこれ30年以上前、勤めていた会社のオフィスは銀座6丁目にあった。
今はときめくGSIXの裏通り、小さなビルの小さな事務所だ。
まだ、三原橋地下街が健在でよく歩いていた頃だ。
その近くの路地に中華三原という中華屋さんがある。
昼食や残業時の腹ごしらえに、職場の仲間とよく行ったものだ。
安くて、旨くて、ボリュームがあり、6割ぐらいの人は、人気のタンメンを頼む。
もちろん僕もここのタンメンが懐かしくて、今でも時々食べに来る。
その頃もそうだったけど、今でも昼食時は店の外に5人〜10人ぐらい常時並んでいる。
その当時、麺を茹でるかかりの若者がいた。
強面の大将がフライパンを振っていて、その横でキビキビ動いてドンブリをセットしたリ、下ごしらえなどをしていた。
その若者は、いつの頃から中華三原の大将となって、
フライパンを振り始めた。
そして、つい最近行ったときも、まだその人はタンメンを作り続けていた。
30年以上、中華を作り続けるその胆力に、僕は痺れてしまうのである。
あの時の若者は今では立派なおじさんになっていたけどお互いさまだ。
カウンター腰に厨房を見ると、今でもあの頃の彼の姿が眼に浮かぶ。
そっとエールを送りつつ、極旨のタンメンをすするのである。
梅の木に梅の花咲く 何事の不思議なけれど
桜の花が映えるこの時節ではあるが、最近急に思い出してこの言葉を噛み締めていた。随分前にふとチャンネルを合わせたテレビドラマでこのセリフが使われていた。
確か、スポーツの部活でレギュラーになれない子どもを励ましている場面だったと思う。おおもとは北原白秋の「薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク。ナニゴトノ不思議ナケレド」。いつもは見過ごしている当たり前にある自然の不思議さや命の神秘に心打たれるということだ。
ドラマでは、華やかに咲き誇り圧倒的な人気の桜の花に対して、梅の花には梅の花の良さがあるのだと言うことを語っていた。
春の喜びとともに小さな灯を灯すようにして咲き、寒風に揺れる梅の花。
梅は民家の庭先などで、しっかりと自分の花を咲かせるのである。
今の季節は人生の節目となる人が多く、その中で浮かぶ人もいれば沈む人もいる。
梅の木に梅の花咲く。何事の不思議なけれど。
心に滲みる言葉である。
お薦め家系ラーメン
家系ラーメンについては恵まれた環境にある。
車で5分〜15分のところに旨い家系ラーメン店がいくつかあって、時々食べに行く。
浜っ子の家族たちも当然大好きなので、行くとなると着いてくる。良いコミュニケーションになるのだ。
ということで、近隣でバカ旨の家系ラーメンを紹介しよう。
■寿々喜家:国道16号線沿い相鉄西谷近く
ややマイルドながら実に味わい深い絶妙バランス。一度食べたら忘れられない。土曜休日なら、11時半前に行けば3人〜5人待ちで10分〜20分程度待てば入れる。食事時は10人ぐらい並んでいるので1時間は待つことになる。
■環2家:環状2号線
数年前は人気NO.1で常に10名〜20名並んでいた。昨日行ったら土曜の6時だと言うのにスカッと入れて驚いた。不思議だ。パンチの効いた濃い目のスープが脳天にグーパンチされたような衝撃で箸が止まらなくなる。チャーシューも旨い。
カウンター席のみで、ゆで玉子が必ずサービスで着いてくる。先払い方式なので注文時に代金を払うのも変わっている。しっかりお腹に納まって幸福感がジワジワ満ちてくるような味わい。夜中もやっているので、子どもたちは3時とかに食べに行ってるらしい。最近時々並んでいる。駐車場はない。
かつて、ゆずが来ていたとのことで似顔絵が貼ってある。席はカウンターのみでいつも店外に5名〜10名並んでいる人気店。極太の麺とそれをしっかり支える力強いスープでスポーツの後や肉体労働の後には最高の満足度だと思う。思わずライスを付けたくなる。ウズラの玉子が入っているのが珍しい。
大船店もあって、こちらは駅前の商店街の中にある。
今回はいわば一軍のお店をピックアップした。
2軍のお店も充実しているのでそれはまたいつか。