居酒屋での話

サラリーマンの居酒屋話です。

自動運転の未来

■自動運転
損保大手に勤める先輩との居酒屋話。
自動運転になった場合に、事故が起きた場合の責任は、運転手なのか、メーカーなのかが疑問だった。
先輩の意見は明確。近い将来では、完全にメーカーの責任になると言う。
そこから話はどんどん発展していく。
ならば、運転免許に意味は無くなるから廃止になるのでは。
運転席も不要になるから、車の形態も変わるのでは。
そして、昔漫画にあったスーパージェッタ―の流星号みたいに、スマホで呼べば、迎えに来てくれる。
これには全員が感動して大爆笑したのだ。

ワクワクするのだ。

湘南国際マラソン

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また湘南国際マラソンの季節がやってきた。

今年は、こんな場末酒場よろしく末尾近くの番号で望むのだがなんだか嬉しい。

 

10月、11月は月間100キロ以上走って備える。仕事も早く終えて夜も走る。いつもの月は20キロ〜60キロぐらいなので、この2ヶ月は特別だ。

走り始めると初めは凄く苦しいのに、不思議な事に快感に変わっていく。苦しみから快感へのチェンジは実に鮮やかである。毎週走っていると、ある日スカッと抜けて身体が軽く感じる。その瞬間が実に気持ち良いのだ。

しかしながら、42キロは長い。

快感はいつでもほんの一瞬で後は辛い時間が待っているのだ。

今年はゴールの瞬間、僕は何を感じ、何を考えるのだろうか?

その一瞬こそがマラソンの醍醐味だと思う。

エビデンスの恐怖

例えば、家に現金で100万円持っていたとする。でも世間的には持っていないことになる。なぜなら、100万円持っているエビデンスが無いからだ。このエビデンス第一主義?は実に恐ろしいと思う。

何らかの理由で家で突然死する。これも死亡診断書が無いと死んだことにならない。生きてるのだ。

実存よりもエビデンスの方が世間では重要だ。

世の中は確実にエビデンス第一主義に移行していて、これは人間の実存をだんだんと喪失させていくんじゃないかと思う。

 

 

 

TV番組のいい加減はコメンテーター

バラエティ報道番組は毎日たくさんあるけど、スポーツのコメンテーターはかなりいい加減だ。いい加減を通り越して無責任さを感じる。

例えば土曜朝の某番組。野球の大御所が何でもそれらしい解説をして、喝とかあっぱれとか言ってる。しかし、野球のバッティングの専門家がサッカーとかラクビーとかバレーのことを言う意見は、我々とあまり変わらない。多少はスポーツ界の裏情報が入ってくるのかもしれないけれど、困った発言も多い。全体に番組の制作姿勢がいい加減なんだろうな。日曜の朝は引退した野球選手とサッカー選手が交互に出て解説してるけど、見ていて可哀想な気がする。俺たち物心ついたときからサッカー(野球)しかやって無いからなぁ、みたいな表情している。

これは、日本料理の職人にフランス料理やイタリア料理の個々の料理を解説させるくらい無意味なんだろう。専門以外はコメントさせない方が良いなぁと毎回思ってる。

 

悔しいけど滲みてる

悔しいけど滲みてることがある。

一つは「ヴァ〜カぁ、おめ〜ら、限界からが本当の練習だ!」

高校でサッカー部だった。毎日毎日かなり走らされた。きついダッシュが続きヘロヘロになって涙目で辛さを訴える僕たちに、教師はこう言ったのだ。

悔しいけど完全に身体に滲み込んでいる。

今はマラソンの練習で膝痛に悩んでいるけど、少し良くなると走る。そうするとこの滲み込んだ物が出てくるのだ。少しの痛みがあっても限界まで走ってしまう。軽めで止めて徐々に鍛えるということが、頭で分かっていても身体ができないのだ。

若い頃の洗脳は強力なのだ。

親しみある名字の呼び方

渡辺という名字の人は、一度は「なべさん」とか「なべちゃん」と呼ばれている。

同じように加藤は「かとちゃん」でなぜか「かとさん」は無い。佐藤も同じパタン。

鈴木は「すーさん」だし、山口は「ぐっさん」。

これは面白いので少し列挙してみる。

 

・金田:きんちゃん。なぜか「きんさん」はない。

・松田、松山:まっつぁん、まっさん。なぜか「つぁん」になる。

・浜田:はまちゃん

・菅野:かんちゃん。なぜか「かんさん」はない。

・片山、片桐:かたやん。なぜか「やん」となる。

・石川、石山:いしちゃん。「いしさん」はない。

・岩田、岩瀬:がんちゃん。「がんさん」はない。

・小林:こばちゃん。「こばーん」もありか?

・山本、山田、山川、山内:やまちゃん。「やまさん」もあり。

・木村:きむにぃ、きむねぇ、きむじぃ。

・平田、藤平:ぴらちゃん。へいちゃん。

 

このような親しみのある呼び方をされにくい名字もあり面白いのだ。

面白いのがあったらぜひ教えて下さい。

 

ミンティアはお菓子?

電車の中で私立中学の学生らしき数人が議論している。教師から、学校にお菓子を持ってきてはいけませんと言われたらしい。

少年A:食べると頭がスッキリするからミンティアはお菓子じゃないんだよ。

少年B:それじゃ、俺はポテチ食べてスッキリするからお菓子じゃないな。

少年A:常識ってものを考えてくれよ。

    ミンティアはスッキリする目的で作られてるんだから。

少年B:スッキリするってみんなチゲーじゃんか。何食べてスッキリするか、

    作った目的だってそこまでわからないだろう。

少年A:だから、ミンティアはスッキリすることだけを目的として作ってるんだよ。

 

と続くのでありますが、あなたが教師だったらどうしますか?

 

僕は少年Aをたまらなく応援したくなり、頑張れって心の声援を送りました。

でも、やっぱりミンティアはお菓子ですね。

なぜって、おかしのまちおかで大量に売っているからです(笑)

物忘れ

最近物忘れが激しい。人の名前や地名、お店や薬の名前など片っ端から忘れてしまう。さっき話していたことが思い出せなかったりするとヤバいなぁと思う。

先日出張のとき、ショックな忘れ物をした。出かける時から何か忘れているんじゃないかと言う予感が身を包む。当然思い出せない。今回は何か決定的なものかと焦ってチケットや持ち物をチェック。完璧だ。でも何か肝心な一本がない予感は消えなくてジリジリしながら考える。

やがて新幹線の心地よい揺れの中、忘れ物のことなどすっかり忘れて一眠り。

するとハッと思い出した。腰のところにそっと手をやる。

あぁそうだ!ベルトをするのを忘れていた。

どうりで何か肝心な一本がしまってない感じがしたわけだ。

駅に着いてあわてて紳士服店に飛び込んだのでした。

酒場評論:八日目の蝉

角田光代の2007年の小説。映画は2011年。出演は、井上真央永作博美小池栄子。2010年に、檀れい、北のきいでTVドラマ化されているようだが観ていない。

原作を読んでから映画を観たパターン。

小説を読み始めると喜びに打ち震えた。小説らしい小説なのだ。ホームランバッターが出てきてきちんとホームランを打つ喜び。その期待感、ワクワクの来るぞ、来るぞ感がある。途中ややあり得ない展開もあるが、素直に感動できる小説だ。

子どもに対しての惜しみない愛情とそれに応える子ども側からの愛情は一貫している。そこにこの小説のテーマがしっかり流れている。

読んでいる途中小豆島に行きたくて仕方なかった。そのあたたかく優しい日差しの中でただ、ただ佇んでいたくなる。

映画は、自分にとっては観ないほうが良かった。小説の中で作り上げたイメージが完全に崩れてしまった。あの想像していた小豆島のイメージを返して欲しいのだ。

小豆島を舞台にした2ラブレターと言う昼ドラマが素晴らしかった。勝手にそれを想像して期待があったのかもしれない。

八日目の蝉

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